どうも、なべやんです。
プロローグに続いて第一話になります。
是非お楽しみください~。
コメントで感想聞かせてくださいね。
P.N 闇鍋のふた 作
~第一話 ネギの中の鬼火~
「なんだか、ネギの数が減っている気がするの」 叔母さんが、畑を見ながら言った。 一反くらいの大きさの畑だ。ちなみに一反とは、300坪と同じ大きさらしい。 隣接している田んぼも一反だ。農業を手伝い始めて、一町や一反といった数え方を知った。 八月二日の朝。 夏休み真っ只中の時期だ。でも俺は六月末からずっと学校を休んでいるから、夏休みも何もなかった。 叔母さんの家で農業を手伝って二週間になる。 畑に行き、夏野菜を収穫する。畑に隣接している田んぼの水の量を確認する。暑くなる前に草むしりをしたり、里芋の葉っぱにくっついているアブラムシを刷毛で落としたりする。そんな、昨日と変わらない一日になると思っていた。でも今日は違った。 植えてあるネギの数が減っている。 叔母さんは、そう言ったのだ。 「盗まれたってことですか?」 俺が訊くと、叔母さんは顎に手を当ててから、考え込むようにうなった。 「うーん。どうだろう。私の勘違い、かなあ。でもなあ。どうかなあ。減っているよなあ」 微妙らしい。 俺が見た感じでも、少し減っているような気がする。数にしたら、十本くらいかな。ごっそり盗まれていったわけじゃないし、獣でもない。 「人かなあ。でもプロの窃盗団じゃないよなあ」 「野菜を盗む窃盗団なんているんですか?」 窃盗団という言葉を聞くと、どうしても宝石や絵画を思い浮かべてしまう。こんな田舎町で、泥臭い野菜を盗むプロなんているのかな。 「いるよ」 いるらしい。 「隣町のスイカ、全国的に有名じゃん。でも去年だったかな、たくさん盗まれちゃった」 「ええ?」 そうなのか。 有名になるのも考えものだ。 「でも、この町のネギにブランドなんてついていないし。プロの仕業でもなさそうだし。なんだろな。わかんないなあ。お腹、空いていたのかなあ」 叔母さんは、ブツブツと独りごとを言いながらずっと考えている。そして、 「まあ、いっか」 と言って問題をぶん投げてしまった。 「いいんですか? 警察に相談しないんですか?」 「まあ、まだね。今日は様子を見るよ。気のせいかもしれないし」 「気のせい、ですかねえ」 「また盗まれるようだったら考える」 「そうですか」 会話はこれで終わった。 お昼ごろに仕事が終わって、家に帰ってきた。代わりばんこにシャワーを浴びて汗を流す。それから一緒にお昼を作った。作ったと言っても、大した料理じゃない。採ってきたばかりのナスのお浸しと、コンビニで買った冷やし中華だ。 「いただきます」 しばらくして、 「ごちそうさま」 お昼を食べて、あとは自由時間。 叔母さんは絵本を作るために、自室へと引っ込んだ。そうそう、叔母さんの職業は絵本作家だ。絵本の印税で生計を立てている。農業は副業のようなものだった。 叔母さんいわく、 「農業をしていないと、面白い絵本は描けない。土に触っていないと、子どものころの気持ちを思い出せない」 とのこと。 まあ、なんとなくわかる。土には不思議なパワーがある。 というわけで午後、叔母さんは一人で集中して絵本を描いている。そして俺はといえば、何をしてもいいと言われているけれど、大きな音を出すのは流石にためらわれた。だから縁側で横になって、山を眺めながら昼寝をすることにした。 時間はゆっくり、でも確実に過ぎていく。 風が吹いて、近くにある杉の木がいっせいに揺れた。こういう、ふとしたときに将来のことを不安に思う。 学校に行けていない。片目も見えない。自律神経もおかしい。生きているだけで、体はどんどん衰えていく。できないことが増えていく。普通、こういう感覚って四十代とかで感じるものなんじゃないの? って思う。でも仕方がない。こういうふうに生まれてしまったのだから。 太陽が、山の稜線に溶けた。 夕暮れの時間だ。 二階の部屋の、扉の開く音がした。軽快な足音を立てながら、叔母さんが階段を下りてきた。それから縁側に座っている俺の横に、叔母さんも腰を下ろした。 「ひと段落ついたよ」 「お疲れさまです」 「うん。疲れた。スイカ食べる?」 「はい」 シャクシャクシャクシャク。カットされているスイカを食べる。夕飯前だから、そんなには食べない。 「美味しいねえ」 「そうですね」 なんて会話をした。ずっとこの時間が続けばいいのに、と思った。 すると、少し先に見える山の頂上が、ぼやぼやと緑色に光った。巨大な蛍がゆらめいているような光だった。 「あの光、なんでしょう」 「何? 光? どこ?」 「あの、頂上のところに見える緑色の光です」 「うーん。見えないなあ。緑色?」 「はい」 あんなに大きく見えているのに。 叔母さんは眉間にシワを寄せて、必死に遠くを見ようとしている。でも目線が定まっていない。本当に見えていないらしい。 「わからないなあ。見えない。ごめん」 「いえ、謝ることじゃないですけど」 緑色の光は、現れた時と同じように、ふっと唐突に消えてしまった。 「えーっと。ごめんね」 叔母さんはもう一度謝ってくれた。 変な空気になってしまった。 「いえ。あの。はい」 「さ、さあ。そろそろ夕飯の支度をしようか」 叔母さんが空気を帰るように、元気よく立ち上がった。俺もその後に続いて立ち上がり、キッチンへと向かった。 夕食も、収穫した夏野菜をメインに献立を考えた。ナスと挽肉ととけるチーズでグラタンみたいな料理を作ったり、ピーマンとぼたごしょうを麺つゆで食べたりした。 そして一緒に居間でダラダラした後、叔母さんは時計を見て「お、もうこんな時間か」と言って怠そうに立ち上がった。時間は午後の八時だった。 「私はお風呂に入るけど、大樹はどうする? 私の後に入る?」 「俺は昼間のシャワーだけで充分です」 「そっか。わかった」 叔母さんはお風呂に入った後、歯を磨いて、さっさと自室に引っ込んでしまった。その前に、 「おやすみ」 「おやすみなさい」 「あんたも早く寝なさいね」 「はい」 という挨拶はきちんとした。明日も朝は早い。 俺も歯を磨いてから布団にもぐりこみ、目をつむった。まぶたを閉じた暗闇の向こう側で、夕方に目撃した、緑色の光が瞬いていた。 蛍のように、あっちにゆらゆら。こっちにゆらゆら。想像の中で、緑色の光は山の頂上から下りてきて、叔母さんの田んぼの近くで止まった。田んぼの水面を、緑色に照らしている。ただの、俺の想像なのに、妙にリアルな感じだ。 この光はなんなのだろう。 どうして叔母さんには見えなかったんだろう。考えれば考えるほど、頭の中がモヤモヤしてきた。 けっきょく俺は、数分もしないうちに目を開けて、布団から出る羽目になった。 さらに、外着に着替え直して、叔母さんにバレないように、静かに家を出た。 畑が気になったのだ。 まさか、今日もネギを盗まれるとは思っていない。ネギ泥棒がいるとしても、同じ畑で二度はやらないだろうし、やるとしても深夜だろう。今の時間はまだ午後の九時だ。それでも俺は家を出た。ちゃんと玄関に置いてある懐中電灯を忘れずに、手に取った。これがないと外は歩けない。 今夜も、聞いたことのない鳥の鳴き声が、どこかから響いていた。案外近くにいるのかもしれない。 夜気は冷たくて、風は涼しい。 野生の勘と言えばギャグみたいだけど、そうとしか言いようのない不安が、胸の内に広がっていた。 夕方に目撃した、そして想像の中でゆらめいていた緑色の光も、この突飛な行動に関係していると思う。 懐中電灯のスイッチを入れた。足元が楕円形の光に照らされた。 畑までは歩いて十分。 でも街灯はない。雲が月にかかっているから、外はかなり暗い。ところどころに置かれている自動販売機の灯りに安心するような夜道だった。 車はまったく通らない。 自分の足音と、鳥やカエルの鳴き声、風にゆれる木々の音だけが聞こえてくる。他にも、小さな生き物の息吹というか、気配を感じる。気のせいかもしれないけれど、夜の闇の中では、いろいろな生き物が呼吸をしている感じがする。濃密な生命力が、静かに渦を巻いているというか。 空を見上げる。 雲が流れるように動いていた。 そういえば叔母さんの家に居候してから二週間、蛍を見ていないことに気がついた。 俺が小学生のころにはたくさんいたのに、今年の夏は一匹も見ていない。というか、今年の夏だけじゃない。俺の住んでいた町でも、三年くらい前から蛍がいなくなってしまった。この町もたぶん、同じなんだろう。 蛍がいなくなった理由はわからない。 たったの四年で、世界はこうも変わってしまう。光は簡単に失われてしまうのだ。 畑にたどり着いた。 懐中電灯で辺りを照らしてみる。 「誰もいない、よな」 当たり前だけど、誰もいなかった。ネギ泥棒も、緑色の光も、何も。 ふと、俺の目の前を蛍が横切った。 いないと思っていたけど、ちゃんといたんだ。嬉しくなって手を伸ばしたところで、気がついた。緑色の光の中に、虫がいない。 風が吹いた。 田んぼの水面が、さざなみだつ。かすかな光を、水面の凹凸が反射している。 風が止んだ。 遅れて、水面の波紋も消えていった。いつの間にかカエルの声が途切れている。鳥の鳴き声がしない。小さな虫の気配も感じられない。 何もない、夜の闇。 「こんばんは」 急に、横から話しかけられた。 「うわ」 びっくりして後ずさった。懐中電灯の灯りを声がした方――つまり俺の左側に、慌てて向けた。 光の中に浮かび上がったのは、俺よりも少し身長の低い女性だった。 まず長い黒髪が見えた。その黒髪にビビって悲鳴をあげそうになった。 でも悲鳴をあげる前に、女性が白いブラウスを着ているのが見えた。赤いリボンもしている。視線を下げてみると、その女性はプリーツスカートに膝下のソックス、革靴を履いていた。たぶん、中学生か高校生の女の子だろう。 なんだよ、もう。 幽霊かと思ったよ。 ここで安堵のため息をついてから、いや待てよ、と思い直した。幽霊なのか生きている人間なのか。どっちなのかは、まだわからないじゃないか。だいたい、こんな時間にこんな場所で、制服姿の女の子が歩いている理由はなんだ? 学校帰りにしたって遅すぎるだろ。 この一瞬で、思考が目まぐるしく回転している。どうすればいいんだろう。何を言えばいいんだろう。 「こんばんは」 俺はとりあえず、挨拶を返してみた。これなら無難なはずだ。 女の子はにこりと笑ってから、 「まぶしいんですけど」 と言った。 懐中電灯の灯りを、彼女の顔面に向けていることに、ようやく思い至った。 「ごめん」 灯りを下げる。下げても、女の子の顔は不自然なほど青白く光っているように見えた。顔だけじゃない。半袖から伸びている腕も、スカートの下の太ももも――露出している肌という肌が、闇から浮かび上がっている。 まるで死人のよう、という例えが頭の中に浮かんだけれど、すぐにそれを追い払った。 彼女の右手にも、光を放っている何かが握られていることに気がついた。そりゃそうか。この暗闇だし、彼女も懐中電灯のたぐいを持っていて当然だ。そう思ったのだけれど。 どうやら握られているのは懐中電灯じゃないらしい。 緑色の光を発している、細長い何か。 よくよく見ると、ネギだった。 「ああ、これ? これはね、この畑のネギだよ」 「この畑って、この畑?」 俺が、近くにある畑、つまり叔母さんの畑を指差しながら訊いた。すると女の子は、こくんと頷いてから、口を開いた。 「そう。この畑のネギ。光を透過するキレイなネギだね。何本かもらっちゃったよ」 「昨夜のネギ泥棒は、お前かッ!」 思わず大きな声で怒鳴ってしまった。この辺に民家がなくて良かった。 「ネギどろぼう?」 女の子は、首を横に傾けた。知らない単語を聞いたかのような反応だ。どういうシラの切り方なんだそれは。 「この畑は叔母さんの畑だ。そのネギは、叔母さんが植えて、叔母さんが育てたネギだ。それを勝手にもっていったんだろ?」 「うん」 「じゃあネギ泥棒じゃないか」 「ああ、そうか。そうだね。これじゃあ泥棒だ。世間の常識を忘れていた。君は、このネギを作った人の知り合いなの?」 「そうだよ」 「じゃあ、このネギをくださいって伝えて」 厚かましい人だな。どこからどう説明すればいいんだろう。 俺が言葉を探していると、 「だってさ、この畑で働いている女性。私のこと見えないみたいだし」 女の子が言った。とっさには意味がわからなかった。 「ん?」 「私だって、最初はちゃんと頼もうと思ったよ。でもこの畑の持ち主は、私のこと見えなかったんだよ。だから仕方がなく持ってきちゃった。確かにこれじゃあ泥棒だ。ごめんなさい。でもよかった。君は私のこと見えるんだもんね」 「……」 ――私のこと、見えるんだもんね。 フィクションでしか聞かないセリフだと思っていた。 怒りが一瞬で消えて、その代わりに頭の中は急激に冷えた。 俺は、もう一度女の子の顔を見た。 不自然なほど青白い肌。こんな時間に制服姿で出歩いている理由。そして右手にもっている光るネギ。というよりも、ネギの中に入っている何かが光っている。 「そのネギ、何が入っているの?」 「ああ、これ? 鬼火」 「鬼火? 鬼火ってなに?」 「さあ。なんだろう。みんなが鬼火って呼んでいるから、私もそう呼んでいるだけ。ほら、夜中にけっこう浮遊しているじゃん」 会話が噛み合わない。 そんな光が浮遊しているところなんて、見たことがない。 お互いに日本語を喋っているはずなのに、意思疎通ができていない。微妙な気持ち悪さが背筋を伝う。 「みんな、って誰?」 それでも俺は言葉を発した。 なんとか正常な世界に、自分を戻したかった。彼女はただのネギ泥棒で、これはなんてことのない出会いなんだって思いたかった。 「みんなって、みんなだよ。光を失ってしまった存在のこと。死人? 幽霊? 妖怪? なんて呼べばいいんだろうね」 「君は生きているの?」 「そう見える?」 女の子が笑った。 そして俺の顔を覗き込み、 「君は、右目の視力がないね。半分、光を失っている。だから私と出会ったんだ」 と言った。 俺が握っている、懐中電灯の灯りが不自然に消えた。それでも目の前にいる女の子ははっきり見えた。 ああ、彼女は生きている人間じゃない。 俺はこの瞬間に理解した。 「このネギ。鬼火の光を透過してくれる素晴らしいネギなんだよ。だからこうやって、そこらに浮遊している鬼火を捕まえては、ネギの中に入れる。これで提灯の出来上がりってわけ」 女の子がなおも意味不明なことを言いながら、手に持っているネギを顔の横で左右に振った。ネギの中に入っている緑光が不安定にゆれているのがわかった。 俺は、彼女の言葉に合わせるように、周囲を見回してみた。 さっきまでは飛んでいなかった緑色の光がそこら中で飛び回っていた。もちろん蛍じゃない。光の中に虫がいない。飛んでいる光の尾が、炎のようにゆらめく軌跡を、闇に刻んでいた。 緑の光が燃えている。 確かにこれは火だ。 幻想的な、鬼火だ。 「ね? 見えたでしょ」 「……」 「君はもう、半分こっち側の存在なんだよ。ねえ、名前を教えて」 「名前か」 ここで本名を知られるのは、さすがにまずいと思った。彼女の世界に引っ張られてしまうような気がする。現状、ただでさえ鬼火の漂う意味不明な世界に迷い込んでいるのだから、これ以上深入りしたくはない。 もう手遅れかもしれないけど。 「シラセ」 それでもとっさに偽名を使った。百瀬の一を抜いて、白瀬。シラセ。 「へえ。シラセか。いい名前だね」 「ありがとう」 「私はオクハラ。よろしくね」 何がどう「よろしく」なんだ。もう言葉を交わさないで逃げた方がいいかもしれない。 「じゃ、じゃあ俺は帰るよ」 「帰り道はわかる?」 「わかるよ。こっちの道を戻れば――――」 元来た道を振り返ったら、何もなかった。ただ闇が広がっているだけだった。 ところどころで浮遊している鬼火が、何も照らしていない。闇の中に何も浮かび上がってこない。 近くを観察してみると、叔母さんの畑と田んぼはちゃんとある。でもそれ以外の土地が、ただの暗闇と同化している。家に帰るための道が、いつの間にか消えてしまっているのだ。 一歩、足を踏み出そうとしてやめた。 ここは知らない土地だ。叔母さんの畑と田んぼから離れたら、本当に俺は帰れなくなる。それがわかった。 「私についてきなよ。元の世界に返してあげる」 俺に選択肢はなかった。 ついていくしかない。そうしなければ帰れない。でもついていったところで帰れる保証はないし、それどころかもっと深いところに連れていかれる危険性もある。 「けっきょく、オクハラは幽霊なのか?」 作戦変更だ。彼女と、もっと会話をして、情報を引き出さなくてはならない。安全に家に帰るための情報。彼女と取引できる材料や、その糸口があればいいのだけれど。 「幽霊。幽霊かな。まあ、そうだね。妖怪とも言えるかもね。ネギの中に鬼火を入れて、さまよい歩く妖怪。名付けてネギ鬼」 「ネギ鬼、ね」 絶妙にダサい。 「都会の幽霊は、鬼火を何に入れて持ち歩いているんだろうね。ワイングラスとか?」 どういうイメージなんだそれは。とはいえ俺も、都会のことはよく知らないけど。生まれも育ちも田舎だし。 「それとも都会は、闇の世界も明るいのかな。鬼火がなくても歩けるのかな」 「さ、さあ」 訊かれても。 「私ね、もともとは生きている普通の人間だったんだけど、何年か前に死んじゃってさ」 あっさり言われた。 反応に困る。 「それで今は、こうして鬼火ネギを片手に、闇の中で落とし物を探しているってわけ」 話の流れが変わった。 もちろん俺は乗っかる。 「落とし物? 何を探しているんだ?」 「それが思い出せないんだよね」 「思い出せない?」 「私たちはみんなそう。強いていうなら、光を探している、ような気がする。たぶん」 かなり抽象的なことを言われてしまった。これじゃあ何もわからない。でも、この会話が突破口になると思った。 「手伝うよ」 「え?」 「落とし物、俺も一緒に探すよ。もしかしたら、生きている人間にしかわからない場所に落ちているかもしれないじゃん」 ハッタリだ。 今俺は、後のことを考えずに喋っている。勢いだけで突っ走っている。安全に、元の世界に帰るためだけに言葉を発している。 オクハラは首を傾げた後に、俺をじっくりと見た。そして、 「そういう可能性もあるのか」 と呟いた。 「そうそう。そういう可能性もあるよ」 「ここでシラセと出会ったのも、何かの縁かもね」 「そうだよ。何かの縁だよ」 「わかった。お手伝いをお願いする。お願いします。よろしくお願いします」 意外なことにオクハラは、深々と頭を下げた。俺は面食らってしまった。 「いや。別にいいよ」 「別に良くないよ。ありがとう。こんな、見ず知らずの存在を手助けしてくれるなんて、シラセはすごいよ。普通は怖くて関わりたくないと思うのに」 「……」 「本当に本当にありがとう」 「いや、うん」 オクハラのことを信用していないがゆえの提案なわけだし。彼女が、俺を元の世界に返してくれるとは思っていないから、こういう会話になっているわけで。 ここまで丁寧にお礼を言われると、心が痛む。 俺一人で勝手に不安になって、勝手に怯えているだけのような気がしてきた。取り越し苦労なのかな。でもこの世界はどう考えてもヤバいし、俺はオクハラのことを何も知らない。用心するに越したことはない。 「じゃあ明日の夜から一緒に探してくれる?」 「いいよ」 とりあえず今の状況を脱せられるのなら、それでいい。明日のことは明日考えよう。 「ついでに、昼間もシラセの近くにいようかな」 「え?」 ついでって、なんだ? 話が妙な方向に転がりつつある。 「じゃあ、行こうか」 俺の困惑をよそに、オクハラは話を切り上げてしまった。それから鬼火の入っているネギを、自分の顔近くに掲げた。彼女の青白い顔が、緑色の光に照らされた。それを見て、なぜか森の奥よりも海の底を思い浮かべた。蛍よりも、魚の瞳をイメージした。 「ついてきて」 そしてオクハラは、俺に背中を向けて歩き出した。 俺もオクハラの後に続く。 闇に向かって、一歩、足を踏み出した。
コメント